境内のご案内

仁王門と金剛力士像
 仁王門に祀られている2体の金剛力士像(仁王・二王)は、お寺の伽藍を守護する夜叉神で、中世室町末期頃の作と推定されています。胴体はカツラの一木を刳り貫いて作られ、これに頭と両手、下腿部が取り付けられています。また、背中はケヤキの別材で蓋をする構造になっています。大きな頭と肋骨の浮いた上半身に、髪は怒りに逆立つ焔髪に作られ、目は銅板で覆われギラギラと輝き、両尊ともに片手を振りかざしています。他に類例を見ない像だと云われています。 ▲このページのトップへ
谷風の牛石と踏石
 江戸時代の寛延3年(1750)夏、毎夜丑の刻になると薬師堂にお参りして何ごとか一心に祈願をこめる一人の女性がいました。立派な男の子が授かりますようにと、お薬師様に百日々参の願をかけていたのです。満願の夜に仁王門をくぐろうとすると、足元に大きな牛が長々と横たわっている。でも、ここで戻っては満願もかなうまいと、牛の背を乗り越えて薬師堂へお参りし、満願を果しました。実はこの牛、仁王門の前にあった大石だったのです。お薬師様が姿を変えて現れたのでしょうか。やがて8月8日の朝、元気な男の子が誕生。これが後に「わしが国さで見せたいものは昔谷風(たにかぜ)、今伊達模様」とうたわれた寛政の名力士、二代谷風梶之助だったのです。現在は仁王門の北東、ツツジの植栽の陰にひっそりと安置されていますが、今でも子宝授与・安産成就を願う若い夫婦がお参りに来ています。

 谷風が大関昇進を果たし晴れの郷土入りした折、自分の出世を見ずに世を去った母の墓前に詣で、薬師堂へもお礼参りをしたそうです。そして亡き母が満願の日、牛に見たという大石を感慨深げに眺めつつ、「おかげで谷風は、このように力持ちになりました」と傍にあった石を右足で踏みつけたところ、足跡の形に凹んだといいいます。これが谷風誉れの足型石です。今は薬師堂を囲む玉垣の内側、南西の隅に安置されています。
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七重塔址
 寺の華と称えられた七重塔は、承平4年(934)落雷によって倒壊してしまいました。現在も心礎が残り、往時の隆盛を偲ばせています。▲このページのトップへ
松尾芭蕉句碑
 俳聖松尾芭蕉は、元禄2年(1689年)仙台を訪れました。その折、薬師堂を参拝したと『奥の細道』に書かれています。陸奥國分寺界隈は万葉の昔から「宮城野の木ノ下」と歌枕に詠まれる土地で、多くの歌人・俳人が訪れています。▲このページのトップへ