境内のご案内

本坊
 陸奥國分寺の草創期からお寺の造営・維持管理の長官をつとめる和尚さんを別當といいました。初代の別當は行基菩薩で、そのお住まいとして建立されたのが佛性坊。後に代々の別當が住したので國分寺別當坊とも云い、根本伽藍に先立って最も早くに建立されたとも云われています。
昭和10年、國分寺(薬師堂)と國分寺別當坊とが合併。別當坊は本坊と改称され、宗教法人陸奥國分寺の本部が置かれて今日に至っています。
また、ご葬儀やご法事・各種回向法要も本坊にて行っています。
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本堂
 ご葬儀やご法事・各種回向法要はこの本堂にて行われます。現在の本堂は昭和48年に建立されたものです。
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大塔
 昭和57年(1982)11月落成。大塔とは「六大法身塔」の略称で大日如来を祀る塔のことです。似た形式でも釈迦・多宝の二仏を祀る場合には「多宝塔」と呼ばれます。
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千躰水子地蔵
 本堂の地下には、水子や幼くして亡くなった子供達の精霊を供養する千躰水子地蔵尊が祀られています。
千躰水子地蔵尊奉安のご案内
 流産・中絶などでこの世に日の目を見ることが出来なかった水子精霊、また、十三詣りを済ますことなく旅立たざるを得なかった小児の御魂を、お地蔵さまの大慈大悲におすがりして救って頂くため、ご尊像を奉安して下さる方を募っております。
 ご奉安をご希望の際は、事前に日時ご指定の上ご来山願います。
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光明殿
光明殿外観
 光明殿は仙台市内初の屋内納骨墓苑(仙台市(健保生)指令第4号(平成14年1月28日))です。
・独身や夫婦のみの世帯の方。
・後事を託す跡継ぎがいないという方。
・一人っ子同士の婚姻等で複数の墓地を管理しきれないという方。
光明殿室内墓苑
 風雨にさらされることが無いので墓石のメンテナンスが不要。雑草や苔が生えないので清掃も簡単。通常のお墓を入手されるより経済的負担が少なくて済みます。
由緒ある陸奥國分寺が直接管理していますので、本来有るべき形でご葬儀・年忌法要を行うことが出来ます。
光明殿の墓地使用権は1期33年(最初のご納骨から起算)。期間経過後は期間延長か、合葬墓への合祀を選択することが出来ます。
以前の宗教宗派は問いませんが、ご入会後は真言宗の伝統に則って祭祀供養を進めてまいります。
ご見学・ご相談は事前に日時ご指定の上、ご来山願います。
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代々先師墓地
 陸奥國分寺は近世末期まで学頭(講師)・別當・院主(讀師)の三者が交代で住職の任に当たっていました。現住職で167世を数えます。1260年以上の長い歴史の中で何度も廃絶の危機に瀕しながらも、今日まで法灯を維持してきた歴世住職を祀っているのが代々先師墓地です。
奈良時代に全国に建立された國分寺はその国の僧侶・尼僧の事を掌(つかさど)り、その住職を講師読師(こうじどくし)と名付け、平城京(ならのみやこ)の十七大寺に住する四十歳以上の高徳の僧を派遣して輪番(りんばん)を勤めさせ、四年を以ってその任期としていました。また、他に別當(べっとう)の職が置かれ国分寺の寺務を統括していました。
陸奥国分寺の講師の寺・読師の寺は早々に絶えましたが、貞観年中に慈覺大師(じかくだいし)が読師の寺を再興して院主坊(いんじゅぼう)と名付けて天台宗に転じ、更に寛正年間には宥日法印(ゆうにちほういん)が講師の寺を重建して学頭坊(がくとうぼう)と名付け真言宗に改めました。ただ開山の祖、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の住坊であった佛性坊(ぶっしょうぼう)だけは代々の別當によって受け継がれ、またの名を別當坊とも云いました。これが現在の陸奥国分寺本坊(ほんぼう)です。
伊達政宗(だてまさむね)の伽藍復興以降、陸奥国分寺の一山組織は住職を努める学頭・別當・院主の三院と、これに帰属する子院(しいん)二十二坊とで構成されていました。なお、別當坊中興第三十六世正榮和尚は寺号を國分寺別當坊から國分寺に改め、明治維新の神仏分離により廃絶した学頭坊・院主坊の法灯(ほうとう)を総て継承して第百三十六世住職を名乗り、以後はこれに従っております。
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本薬師外観
 本薬師堂は、薬師堂が造営されるまでご本尊さまが祀られていたお堂だと云われています。かつては現在大塔が立っている旧行基池の畔に在りました。昭和40年(1965)からは清水小路の五橋交番の隣にあった姥神社のご祭神と、古城の東北少年院の北側にあった正善院の聖観音が合祀されています。毎年7月に姥神社奉賛会(五橋・清水小路・東七番丁町内会合同)主催の御祭礼が行われます。
紫稲荷外観
 陸奥國分寺にはご本尊の他に仁王門の金剛力士や準胝観音、鎮守の白山権現等十八もの神仏が伽藍守護神として勧請されていました。これを総じて十八梵刹と呼んでいます。紫 (邑境の転訛らしい) 稲荷明神社は旧東大門坊の南、椌木通と椌木前丁(薬師堂の正面参堂の延長線上)の交差点の南東にあった椌木の下に祀られていたものです。椌木が朽ち果てた後、國分寺と白山神社の各々の境内に分かれて遷座して今日に到ります。毎年、11月23日午前10時より社前にてご法楽が行われます。
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