寺宝

薬師堂 (国指定重要文化財)
 慶長八年(一六〇三)、岩出山から青葉城へ居を移した伊達政宗公は、国分寺の復興を願い、慶長十二年(一六〇七)十月、旧陸奥国分寺講堂跡にこの薬師堂を再建しました。  薬師堂は桃山時代様式の方五間、向拝をつけ勾欄をまわした単層入母屋造り、本瓦葺の仙台最古の建造物であり、国の重要文化財の指定をうけています。堂内の家形の厨子には、秘仏薬師如来像が安置され、須弥壇には日光・月光菩薩が安置されてます。  平成二十三年三月に起こった大地震では、瓦は一枚も落下することはなかったが、お堂の壁板が外れ、内部の菱欄間が外れ落下、漆喰壁が崩壊するなど大きな被害がでました。  翌年の七月八日に修復が終わり、落慶法要が執り行われました。現在は、今まで通り御参拝できるようになっております。  ▲このページのトップへ
仁王門
宮城県指定重要文化財
 平成19年に修復が完了した現在の仁王門。市内では珍しくなった萱葺屋根の八脚門です。
 解体調査の結果を踏まえ、より建立当初の姿に近づけて修復されました。(宮城県指定有形文化財) 政宗公による再建とされていましたが、伊達家の史料には言及されないことや、萱葺であること。また、木鼻・虹梁に施された彫刻の意匠が古いことから、室町期に國分氏が復興したという中世伽藍の名残りではないかという説も出されています。 ▲このページのトップへ
鐘楼
仙台市登録文化財
 優美な袴腰を履いた重層の鐘撞き堂です。伊達政宗公が寛永6年(1629)に鋳造させた梵鐘が納められていましたが、太平洋戦争で軍に供出されたため残っていません。現在の梵鐘は、昭和42年(1967)に新鋳されたもので、除夜の鐘のみ鳴らしています。 ▲このページのトップへ
準胝観音堂
仙台市登録文化財
 延享2年(1745)6代藩主伊達宗村公が、母・長松院殿の菩提成就のために再建されました。準胝観音は六観音・七観音の一つで、五穀成就・子宝・安産の御利益があるとして信仰されています。 ▲このページのトップへ
薬師十二神将立像 現在仙台市博物館に寄託中
宮城県指定重要文化財
カツラ材 カヤ材 鎌倉時代
 薬師如来の眷属として従う十二神将は、釈尊が薬師如来の本願と功徳とを説法した時、『薬師瑠璃光如来本願功徳経』を流布する人を守護し全ての苦難から守ることを誓った夜叉※の大将。1年12ヶ月、または1日12時を守って薬師如来とこれを信仰する大衆を守護する役割を担うとされています。各神将には、更に7千の夜叉が眷属として従うとされるので、薬師如来を中心に8万4千の眷属が集結していることになります。
 十二の神将はそれぞれ個性的な表情と体躯を表わしており、十二支の獣が標識として頭上に載せられています。宮城県内に残る十二神将像としては、十二体が完全に揃い、大きさや迫力も充分な最古、最良の遺品であり、大変貴重な文化財です。
 なお、作風は容貌や鎧などが不動明王像、毘沙門天像と共通しており、同じ仏師たちの手によるものと考えられています。
 
 各像の名称と干支は次のとおり。(写真右から)
宮毘羅(くびら)大将・亥    伐折羅(ばさら)大将・戌
迷企羅(めきら)大将・酉    安底羅(あんちら)大将・申
安邇羅(あにら)大将・未    珊底羅(さんちら)大将・午
因達羅(いんどら)大将・巳   波夷羅(はいら)大将・辰
摩虎羅(まこら)大将・卯    真達羅(しんだら)大将・寅
招杜羅(しょうとら)大将・丑  毘羯羅(びから)大将・子
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不動明王立像 現在仙台市博物館に寄託中
宮城県指定重要文化財
カツラ材 鎌倉時代
 一切衆生の悪業を降伏するため、大日如来が化身して忿怒の姿を現されたのが、不動明王です。五大明王の中心的な存在で、両目を大きく見開き、額に皺を寄せ、上唇を左下牙、下唇を右上牙で噛みしめる容貌は、いかにも難敵を威圧するものです。弁髪を垂れ、右手に剣、左手に羂索を持ち、燃え上がる火焔を背にして岩座の上に立っています。
 あまり類例のない爪先立った足の造りは、毘沙門天と対照で、対のかたちで配置されていました。 ▲このページのトップへ
毘沙門天立像 現在仙台市博物館に寄託中
宮城県指定重要文化財
カヤ材 鎌倉時代
 仏法を守護し国家を護持する有力な神である毘沙門天は、多聞天とも云います。須弥山中腹の四天王衆天の四天王の一尊、また、各方位を守る護方天の一尊として、北方を守護し福徳を与えるとされることから、特に東北地方では篤い信仰を集めました。
 右手に三叉戟(げき)を上げ、左手に宝塔を持ち、甲冒を身にまとっている。
 対になる不動明王像と同じく、顔から胴までの主要部は一木で造られています。 ▲このページのトップへ
日光菩薩・月光菩薩立像
仙台市登録文化財
 ご本尊薬師如来の脇侍、日光・月光の二菩薩です。日光菩薩は仏の慈悲を、月光菩薩は仏の智慧を象徴すると云われ、また、昼と夜をそれぞれ守護するとも云われています。正保2年(1645)学頭寛慶宥性によって造立開眼されたものです。 ▲このページのトップへ