陸奥国分寺
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 陸奥(むつ)国分寺は天平13年(741)の春、第45代聖武天皇の勅頼により建立された日本最北の国分寺である。
 『続日本記』によれば、聖武天皇は全国60余の国毎に僧寺と尼寺の2か寺を置き、一方の僧寺を金光明四天王護国の寺、もう一方の尼寺を法華滅罪の寺として、国家安穏・疾疫消除を願い、『金光明最勝王経』『妙法蓮華経』等を転読させたとされている。
 寺の開基は行基(ぎょうき)であり、創建当時は「寺の華」と考えられていた七重塔が高くそびえ、七堂伽藍・三百坊を数える大寺院であったと伝えられている。七重塔は承平4年(934)、落雷のために焼失し、七堂伽藍・三百坊は文治5年(1189)8月、源頼朝の藤原氏追討の兵火により悉く焼失してしまったという。
 その後、伊達政宗公により、慶長10年(1605)から3か年を費やして、現在の薬師堂・仁王門・鐘楼等が造営されたのである。


創建当時の模型