五代藩主伊達吉村が享保2年(1717)に、領内の古社と名刹の由来の調査を命じた時の国分寺の縁起。龍宝寺の実政和尚が漢文で記した「奥州国分寺縁起」と、和文で綴った「来由記」の二種がある。
漢字による格式の高い「奥州国分寺縁起」に対して、仮名の「来由記」は略縁起と題したとおり、簡明な文章になっている。大崎八幡宮の仮名縁起では絵が加わって絵巻の体裁を見せるが、これは読み下した文章のみの記録である。伊達政宗が文録の役で渡海した際に国分寺の再建を決心したこと、参詣者が競って金銭や米、布を投げ入れた七日堂の御開帳のことなどを書いている。
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